問の神様として知られる菅原道真(すがわらのみちざね)。

日本各地にある天満宮は、菅原道真を祀る神社で、合格祈願や学業成就などのご利益があることから、毎年多くの受験生が参拝することはご存じでしょう。

しかし、天満宮に菅原道真が祀られているのは、 才能にあふれた人物だったからという理由だけではありません。

菅原道真が藤原時平ら貴族によって罠にはめられ、無実の罪で左遷となったことが関係しているのです

それでは、菅原道真がなぜ左遷となったのか、そして一体どんな人物だったのか、また、道真が埋葬されたという太宰府天満宮について、迫っていきたいと思います。

左遷の日記念日って一体何?!

901年(延喜元年)1月25日、菅原道真が九州太宰府に左遷させられました。

それに因んで、1月25日は「左遷の日」。

ところで大変優秀であった道真が、なぜ左遷されてしまったのか・・・?

平安時代に権力を持っていた藤原氏。

そこに学者の菅原道真が、宇多天皇にその才能を見いだされ、政治家として出世し、右大臣にまでのぼりつめました。

右大臣の役職は、左大臣の次に位置する役職。

その時、左大臣であった藤原時平やその他の貴族が、学者出身の菅原道真の大出世に嫉妬し、政界から追い出そうとしたのです。

藤原時平は、その時の天皇であった醍醐天皇に、菅原道真には謀反の疑いがあると告げ口しました。

それを真に受けた醍醐天皇は、道真を太宰府に流したのです。

太宰府で2年の幽閉生活を過ごした道真は、悔しい思いをしたまま寂しくこの世を去りました。

毎年1月25日「左遷の日」には、道真の無念に思いを馳せてみてはどうでしょうか?

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学問の神様菅原道真って一体どんな人物だったの?

学問に優れていただけでなく、多くの民に慕われていたという菅原道真。幼少期から和歌や漢詩を詠むなどの才能を発揮し、「神童」と呼ばれていました。

18歳になると漢学を学ぶ学生である文章生となります。その中でも特に優れていた道真は、文章得業生に選ばれ、官僚としての道が開かれることになります。その後、学者としての最高の身分である文章博士になりました。

学問以外でも、弓を射させると百発百中であったというほどの腕前。馬術にも長けており、まさしく文武両道の人物であったのです。

894年、道真は遣唐使に任命されるのですが、ここで、「唐から学ぶことは、もう少ない」という理由から、200年以上続いてきた遣唐使の廃止を提案し、国風文化の繁栄に大きく影響を与えます。

また、その前に起きた阿衡事件(藤原基経と宇多天皇の間で起きた騒動)では、道真の機転で騒動を鎮めました。

それ以来、道真は宇多天皇からの厚い信頼を受けるようになり、後の醍醐天皇のときには、右大臣にのぼりつめるという、学者出身としての異例の大出世を遂げたのです。

しかし、出る杭は打たれるという言葉があるように、その異例の大出世に嫉妬した藤原時平の政略によって、太宰府に左遷させられます。

道真は、左遷後も皇室と国家の安泰を祈り続けて、生涯を閉じたといわれています。

ところが、道真が亡くなった後、都では疫病が流行り、不吉な出来事が相次ぎます。

道真を左遷へとおいやった藤原時平もなくなり、道真の祟りだとの噂が流れました。

災いは続き、天皇の住む御殿「清涼殿」に落雷。

道真は天神(雷神)になったのだと恐れられ、道真の祟りを鎮めるために、北野天満宮が建立され、祀られることになりました。

実在した人間である菅原道真が、天神様と呼ばれ、学問の神様として親しまれるようになったのには、

こうした理由があったのですね。

左遷の日1

ところで、道真が詠んだ和歌や漢詩の中には、梅の句が多く登場します。

5歳で詠んだ和歌にも、太宰府に左遷となったときに呼んだ和歌でも、梅の花を見て詠んでおり、道真はそれほどまでに梅を愛した人物でした。

次に紹介する太宰府天満宮はもちろん、日本中どこの天満宮にも、梅の木があるのは、道真が梅を愛していたからなのです。

左遷の日2

太宰府天満宮は牛が座り込んだ場所だった?!

福岡県太宰府にある太宰府天満宮

多くの観光客、参拝客で人気の場所ですが、ここは菅原道真が埋葬されている場所。

道真が亡くなり、その遺体を牛車が乗せて運んでいると、急に牛が止まりそのまま動かなくなってしまいました。

これは、きっと道真の意志であるとされ、遺体はそこに埋葬されることになったのです。

その地が、現在の太宰府天満宮。

訪れたことのある方はご存じかもしれませんが、そういった逸話があることから、神社には11頭もの牛の像があります。

牛の像を触ると、触ったところがよくなるといわれています。

ですから、合格祈願で訪れた際には、11頭の牛の像を探し出し、全部の頭や角を、触ってくるとご利益があるかもしれませんよ。

こちらは、太宰府天満宮駅から本殿までの道のりを紹介した動画です。

参拝される前に、是非参考に見てくださいね。

【歩撮】「太宰府天満宮」駅から本殿まで[stroll filming] Dazaifu Tenmangu

人間社会には嫉妬がつきもの

いかがでしたか?

皮肉なことですが、道真は大きな嫉妬を買い、その結果、左遷されたからこそ、後世まで名を残し、今でも天神様、学問の神様として、天満宮に祀られているのですね。

今も昔も、人間社会には嫉妬がつきものです。

もし、嫉妬に悩むことがあったら、天満宮を訪れてみてはどうでしょうか?

菅原道真に思いを寄せることで、気持ちが軽くなるかもしれませんよ!