
勉強や仕事で行き詰まりを感じた時に、自分が天才だったら…と思ったことはありませんか?あるいは一流大学に進学した知人をみて、「あいつは秀才だ」と誇らしく思うこともあるかもしれませんね。
そんな天才や秀才、また奇才についても、優れた人に対して使う言葉。どれも同じような意味で使ってしまいがちですが、実はそれぞれに意味が違うんですよ!
そこで、秀才・天才・奇才、それぞれの意味や使われ方の違いについてまとめましたので、しっかり覚えましょう!
秀才とは?

中国の採用試験から
「秀才」とは、普通の人よりも優れた才能を持つ人を指す言葉。特にどのジャンルでも、平均以上の能力を発揮できる人に対して使われます。
その語源は中国で長く行われてきた、「科挙(かきょ)」という制度にあります。
科挙は、古き中国の「隋」から「清」の長き時代に渡って、各王朝で行われてきた官僚登用試験の事。公平さを保つために、受験資格を問わない採用試験として続けられてきました。
官僚になれば安泰という事もあり、家柄や身分にかかわらず、あらゆる階級の人が受験。しかし突破率は非常に低く、最大で3000倍にもなる難関中の難関でもありました。
科挙における「秀才」は、科挙初期である「隋」の時代にあった学科名の一つ。秀才科は時事問題を強く問われるものでしたが、合格者の少ない最難関。「唐」の時代になって別の学科へと変わったのですが、秀才という言葉は科挙の中で残り続けました。
そこから1000年近く後の「明」の時代になり、科挙を受験するには国立学校の資格を得る必要が。この国立学校受験を突破したものを、秀才と呼ぶように。
この試験自体も狭き門であったことから、秀才は優れた人として使われるようになりました。
本人の努力の結果に対して
秀才は、最初から秀才と呼ばれるのではなく、主に本人の努力した結果に対して使われます。また物事の考え方や能力に関しても、優れてはいるが「努力すればできる」と思える部分が。
人より優れているけれど、そこには本人の努力があったからという意味合いが秀才にはあるんです。
どんな人であれ、本人の努力によって、なりたい結果を得ることができるのが、秀才とも言えますね。
天才とは?

天が与えた才能
「天才」とは、生まれ持った才能が人よりもずば抜けて優れていている人のことを言います。
その才能は「天が与えたもの」とも表現され、通常の人では努力しても到底かなわないもの。勉学以外にも芸術・スポーツなどの分野において、飛び抜けた才能を持つ人に対しても使われます。
幼い頃から
天才と呼ばれる人は、幼い時からその片鱗を表していることが多い特徴があります。
例えば、
- 小学生なのに、大学卒業レベルの知識を持つ子供
- 数学の特定分野において、大人以上の能力を発揮する子供
- 初見の楽譜を見て難しいピアノ演奏ができる幼児
といったことなどです。
その一方でその才能が理解されること無く、死後になって天才であったと世間に認められる人もいます。一例をあげると、現在では超一流の画家として認められているゴッホも、生前は全く売れない画家だったんですよ。
奇才とは?

オンリーワンである
「奇才」とは、他の人にはない特殊で特別な才能を持つ人のこと。
優劣を表現する言葉ではなく、オンリーワンであることを表現する言葉となっています。
奇才は天才と同じ扱いを受けることがありますが、天才は生まれ持った優れた能力に対して使う言葉です。
奇才も確かに生まれ持った能力や、成長後に判明した能力に対して使用します。しかし能力自体が優れている事は問わないため、奇才が天才であるとは限りません。
とはいえ、奇才と呼ばれるほどの能力は、トップレベルの優れた能力である事がほとんどですね。
秀才・天才・奇才の違い、まとめ

最後に、秀才・天才・奇才、それぞれの違いについてまとめました。
特徴や違い | |
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秀才 |
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天才 |
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奇才 |
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まずは努力することから
秀才・天才・奇才と呼ばれる人は、最初からそうであったとは限りません。
確かに人より優れているかも知れませんが、特に「秀才」と呼ばれる人の中には、積み重ねた努力があってこそ、力をつけることができたという人も多いです。
- 優れている人は元が違うから
- 自分はどうせ平凡だから
・・などと思い込む前に、今からできる事がたくさんあるのではないでしょうか。
生まれながらの要素が強い「天才」は別にして、「秀才」、あるいは「奇才」を目指してみるのも素敵ですね。そのためにも、まずはできることから始めてみましょう!
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